脱デブ宣言 ― 2008年08月01日
政治は体力。自己管理も大事な仕事です。
夜は柳沢小学校での学校統廃合計画説明会を傍聴。ここでも地域住民からは異論続出。
***今日の街頭演説***
大洲市役所河辺支所前にて11:00~
柳沢小学校前にて17:30~
テーマ曲 ― 2008年08月02日
http://www.jin-m.com/images/prof/matsubara.mp3
おお、たしかにドラクエっぽい。
***今日の街頭演説***
ツタヤ大洲店前交差点にて16:30~
火種は物騒 ― 2008年08月03日
ドラゴンボート大会にてもう一枚 ― 2008年08月03日
充電完了 ― 2008年08月04日
***今日の街頭演説***
大洲本町交差点にて18:00~
カシュガルでのテロ ― 2008年08月05日
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/olympic/general/list/200808/CK2008080502000196.html
このカシュガル、私13年前に訪れたことがあります。ウルムチからバスで二泊三日もかかる土地ですが、シルクロードのど真ん中に位置する大変異国情緒にあふれる街で今もその記憶は鮮烈です。当時は中央アジア諸国が旧ソ連から独立したばかりで、国境間の交易も増えており明るく平和な雰囲気だったのですが。かの地では一体なにが起きているのでしょうか。。
出海地区へ ― 2008年08月05日
***今日の街頭演説***
ショッパーズ長浜店前にて17:00~
長浜町出海新出海橋にて18:00~
表敬訪問 ― 2008年08月06日
議会日程と全員協議会 ― 2008年08月07日
http://www.city.ozu.ehime.jp/life/life_detail.php?lif_id=670
引き続き、議員27名が出席しての全員協議会を開催。テーマは大洲市地域公共交通会議において協議中の「大洲市公共交通の基本方針」についてです。循環バス事業計画について議員からは異論が続出。当初から採算ラインを大幅に下回る予測では当然な気もします。ある議員からは「重複する既存バス路線で運賃の差額を市が補填するのなら、なぜ市は独自に循環バスを導入するのか?」となかなか鋭いツッコミが。理事者の答弁は苦しそうでした。みんな大変だなあ。
感動 ― 2008年08月08日
この弔辞はすごいです。特に最後の言葉が。
以下は森田一義氏の弔辞全文です。
「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。
合掌。
平成20年8月7日、森田一義
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