報道のあり方について2018年06月05日

大洲市長選も終わり、徐々に落ち着きを取り戻しつつある大洲市内です。私も過去4度の市長選に関わってきましたが、今回は過去のどの市長選と比べても静かでデマの類が少ない選挙戦ではなかったでしょうか。選挙中の報道もできる限り目を通しましたが、おおむね公平で事実に基づいた内容だったと思います。

ただ、開票速報後の当選報告会にて非常に違和感を感じる事案がありました。5月20日22時ごろ、NHK松山が「二宮当確」の速報を打ち、リジェール大洲の会場が歓声に包まれた後のことです。数分後、会場入りいた二宮新市長夫妻は壇上に上がり、支持者の音頭で万歳三唱を行いましたが、その際、万歳にあわせて二宮夫妻は深々と頭を下げたのです。

支持者を労っての行動だったと私は好意的に解釈していました。しかし、その後会場の報道関係者より「画が撮れてない。二宮氏も万歳してもらって撮り直してほしい」との要請が。戸惑う二宮夫妻ですが、促されて再度壇上にて万歳三唱。そうして撮られた画像が上のものです。二人の表情が微妙なのは、そのようないきさつがあったからです。

あの1枚の写真には2つの「事実ではないこと」があります。ひとつは会場の取材対象者が自発的に行った万歳三唱ではないこと。そしてもう一つは、自身の当選に対して一番に支持者を労うという二宮氏の人柄が表現されなかったことです。

選挙報道において「当選者が万歳をする画」が必要ということ自体が思い込みや既成概念に囚われている証ではないしょうか。事実とはなにか、ということを考えるひとつの例だと私は感じています。